事情聴取(カウンセリング)
こんにちは、ataramae(あたらまえ)です。
息子が不調らしいのを言った高校一年生から、早6年ほど経っており、今まで何してたんだ?って話なんですが。
息子への事情聴取によると、本人が最初に不調を感じたのは中学二年生らしく、
つまり、
かれこれ何年経ってるんだよ!って話。
親としてホント恥ずかしいです‥。
子どもの事をみてたようで、知ってたようで、ダメじゃんか!
部活だ、勉強だ、テストだ、そんなんばかりで全然見てなかったじゃんか!
自己嫌悪はもうしまくったから、もうしない(予定)ことにします。
仕方ない。
前にも書いたけれど、ストレスは本人さえも気づかないところでじわじわ染み込んでくる。
息子だって気づいてなかった。
だから今更どうする事もできない。
私たちは、カウンセリングみたいな事情聴取を丁寧に丁寧に始めました。
まずは、中学時代編。
気づいた事、思い出した事、再確認は以下の通りてす。
本人が思う結論は、
① iPod touchの見過ぎによる究極の眼精疲労。
② 塾の環境が極端にストレスだった。
ひどい眼精疲労により、目がおかしくなった。
精神的問題というより、物理的な話なのか?
わからない。
とにかく、事情聴取風なカウンセリングによりわかった事は下記の通りです。
① 部活は楽しかった
② 部活と勉強で忙しかった
③ 気分転換は唯一ネット(iPod touch)だった
④ ネットを異常なまでに見まくり目が疲れてた
⑤ 塾は苦痛だったが、辞めるという選択肢を思いつかなかった
⑥ まぶしく感じる時があった
⑦ 給食は喉を通りにくく頑張って食べてた
振り返るって記憶か断片的で、良くも悪くも過去の思い込みも含んでくる。
でも、探るしかない。
ではでは。
視線恐怖らしき
こんにちは、ataramae(あたらまえ)です。
電車でずっと目をつぶり、人混みはうつむき加減に、人がいっぱい並んで座っている教室はもうどこを見ていいかわからず、黒板をちゃんと見られない状態。
人が目に入ってしまうと、その人を目で追ってしまうのだそうで。
それは、人なら誰でも。
人が勝手に自動的に視界に入ってくるらしい。
ただ見てしまうなら、ふーん、なんだけど、相手は人。視線に気づき、不快な顔をしたり、反応して怒ってきたり。そんな経験が何回もあったというから、聞いてるだけでツライ。
視線恐怖症は、大きく他者視線恐怖と自己視線恐怖があります。前者は他人の視線が怖い、後者は自分が他人に送る視線に悩まされてるといった感じ。
息子は、後者。
どゆこと?
なんですが、そういうことなんです。
視線恐怖は、社交不安というジャンルに含まれるそうで、とてもデリケートな世界で繰り広げられている。
息子はそんなキャラではない。
と私が思ってた、ということ。
息子は、そんなデリケートな世界じゃなく、もっと単純で鈍感な世界の住人だろーよ、と私が思い込んでいた、ということ。
実際問題、自分の子はこういう人である、と定義するのってかなり難しいんじゃないかとも思う。
いろんな面が全部、その人なのである。
負けず嫌いも、弱気なところも、シャイも、ずーずーしいのも、ガンコも、面倒くさがりも、几帳面も、ぜーんぶパズルのピースなのである。
とは言え、一体全体なにがどーしてこーなったか。
ではでは。
不調の芽は小さなこと
こんにちは、aratamae(あらたまえ)です。
当たり前、当たり前、当たり前たいそ〜♪
あー、懐かしい歌w
友達同士のじゃれあいも、今じゃ当たり前に仲良しってわけではなく、いじめの一歩とも取られたり、
あだ名
いじり
お誘い
センシティブな世の中。
何が当たり前なんてわからない。
思い起こすと、
大学生の息子が最初の不調を訴えたのは、高校一年生の時。受験も終わり、新しいメガネを作りにメガネ屋へ行った時。
乱視?
息子は店員さんに言いました。
「なんか焦点が、ピントが合いにくい気がする」
「こっちを見ても、あっちが目に入る」
年頃の男の子の言葉ってこんなもん。多分うちだけじゃない。ペラペラ喋らない。(と思う)
店員さんは、乱視チェックやいろいろしてくれ、乱視ではありませんでした。
そして、今度はコンタクトも使ったら?なんて、高校デビューのお約束な話も出つつ、新しいメガネを買って帰りました。
ん?
じゃさっきの話はなんだった?
そんなのすっかり忘れた私と息子。のんき。
ではでは。
無意識の恐怖
こんにちは、ataramae(あたらまえ)です。
突然ですが、ストレスたまってますか?
以前読んだ本に、
「ストレス自体は悪いものではなく、生きていたら当たり前のもの。ただ、
それが積もり積もって、たまりにたまった状態が良くない」
と書いてありました。
たまりまくってるのがわからない。
そもそも何がストレスかも今ひとつ不明確。
ある人にとってのストレスが、私にとっては楽しみな場合もある。逆もしかりなわけで。
色や数値でわからない曖昧さ。
無意識に、水面下で積み上げられてく恐怖。
きゃー!
だいたい、人は不調が出てから思い起こしてみる。
あの時のあれがストレスだったのか。
あれか?
いや、あれか?
息子の恐怖は、なんだったのかと振り返る。
運動好きで元気で人気者だった息子は、いつしか知らない間に、恐怖を感じていたらしい?
本人も気づかないうちに。
知らない、気づいてないって怖い。
息子への聞き取り調査がスタートし、私の妄想、推測、憶測が果てしない暗闇の世界へ。
次回は、最初の不調らしきを探ります。
ではでは。
恐怖はどこから来るのか?
こんにちは、atramae(あたらまえ)です。
この名前は、当たり前って言葉からつけました。
この時代の当たり前は、実は当たり前ではないかも、そもそも当たり前ってなに?という、へんなとこに疑問を持つ50代女です。
よろしくお願いします。
ところで、
視線恐怖、閉所恐怖、対人恐怖‥
いろんな恐怖があります。
誰だって他人の視線はなんだか不気味だし、
狭い暗闇は当たり前に震えるし、
人間はいろんな意味で恐ろしい。
しかし、
恐怖が恐怖症、不安障害となるとまた話は別。
生活に支障をきたすほど
「病的に」怖くて不安なのです。
以前読んだ本に、
「恐怖から来る不安は人間の本能である。不安を抱くから、寒い冬に備えたり、同じ危険をおかさないように先回りしたり予防できる」
みたいな事が書いてありました。
また別の本には、
「不安や恐れは脳の前頭葉が司っている。なので前頭葉を鍛えるとよい。」
とかもありました。
前頭葉を鍛えるというのが、どの本を読んでもしっくりこないのですが、睡眠だの、栄養だの、思考だの、なんだかんだと頭がこんがらがり、逆に前頭葉が疲れてしまったようにも感じている今日この頃です。
「視線恐怖症」
みたいなものを患っています。息子の話。
まだ患い中だが、私は近いうちに必ず治る気でいます。
ジタバタと動き回ったのに空回りだった過去、現在、そして手答えを感じ治る未来のために、ブログにその記録を残しておきたいと思います。
同じような悩みを持つ方、
そんな事で悩んでるんだ、へーと思う方、
また、医学や病気や心や医者や不調や元気や気持ちや育児や子供や教育や成長や諸々の興味が少しでもかぶる方の目に触れられたら嬉しいです。
よろしくお願いします。